2022年7月27日水曜日

内藤新宿

江戸時代、甲州街道の江戸日本橋から最初の宿場だった。

宿場内の新宿追分から分岐している青梅街道の起点でもあった。

東海道の品川宿、中山道の板橋宿、日光街道の千住宿と並んで、

江戸四宿と呼ばれた。

地名から四谷新宿とよばれることもある。

出典 ウィキペディア


新宿区立 新宿歴史博物館


写真は i phone SEⅡ

10 件のコメント:

ココア さんのコメント...

今の新宿からは、想像ができません。
新宿区は、まだ昔の地名が残っているところがありますね。
昔の地名は趣があっていいですね。

yuta さんのコメント...

ココアさん
江戸時代の新宿の宿場のジオラマです。
当時の様子が伺えますね。
新宿の山手線や総武線の内側は昔の町名が残ってます。
今は暑さとコロナで実現できませんが、
町名だけか昔の名残があるか、
歩いて確かめてみたいです。

西やん さんのコメント...

新宿も四ツ谷、角筈が江戸時代からの江戸ですね。
京王線が当初角筈始発だったのも意味があったんでしょう。
江戸の六地蔵があるのが街道の入り口、新宿は太宗寺にありますね。
今の新宿からは想像がつきません。

yuta さんのコメント...

西やんさん
京王線が角筈始発だったのですね。
知りませんでした。
江戸の六地蔵巡りもおもしろそうです

ryo さんのコメント...

江戸時代、宿場町の画像があるのですね〜
結構、整然としていますね。

yuta さんのコメント...

ryoさん
これは画像ではなく、新宿区立新宿歴史博物館にあるジオラマです。
当時の宿場を行き交う人々や、
宿場裏で生活する人々の様子がよくわかります。
実際はもっと雑然としていたのかもしれませんね。

匿名 さんのコメント...

ググってみたら、甲州街道は江戸と下諏訪を結んだ街道で、220kmあったんですね。
当時の人は一日20キロぐらい歩いてたようですが、宿は飛び込み?
どのぐらいの旅荷物もって旅してたんでしょうか。
宿が綺麗にならんでます。
さくら

yuta さんのコメント...

さくらさん
一日5時間で11日かかって江戸から下諏訪に行ってたことになりますね。
途中茶店で休んで、昼食を食べたり、お茶を飲んだりして。
当時はネットや電話予約はなかったので、宿は飛び込みでしょう。
時代劇で宿の呼び込みが客を探してる光景があります。
荷物は前後に振り分けて肩にかけてたようです。
宿場町は道の両側に宿がびっしり建てたんですね。

葉流 さんのコメント...


yutaさん

こんにちは。

東海道の品川宿、中山道の板橋宿、日光街道の千住宿と並んで、
江戸四宿と呼ばれていたのですね。

 新宿歴史博物館のジオラマですか・
今の時代とはかけ離れた感じがしますね。

ジオラマで見ると、当時の雰囲気がより伝わりますね。

yuta さんのコメント...

葉流さん   こんにちは
この先の高井戸まではきついということで、
内藤新宿に宿場ができたということです。
日本橋から電車で30分もあれば行けるところですがね。

当時の様子がよくわかって面白いです。

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